総本山第39世日純上人について
日純上人の御事績は総本山第48世日量上人『続家中抄』(日蓮正宗聖典974)に記されます。
御出生は「釈日純、字は活了初め日明と云ふ 遠妙阿闍梨専光院と号す。元文元年丙辰(1736年)武州青梅に生まる」と青梅の御出生であると記されます。そして常泉寺(墨田区)の日喜師を師匠として剃髪の後、総本山第35世日穏上人にお仕えします。続いて大石寺をはじめとした勝劣派の学問所である細草檀林で学問を修め41歳で常泉寺の住職を務めます。
そして天明5年、唯授一人の血脈を承けられ総本山第39世となられます。その後、病身の為、翌天明6年退隠されますが、退隠後も下条の下之坊を修復されるなど御活躍されます。(下之坊は正宗末寺の筆頭とされ、日純上人は下之坊再中興の祖と賞されます。正宗教報第6号)その後、享和元年(1801年)に御遷化あそばされます。
慈本寺の縁起・沿革
昭和58年の建立にあたり初代住職に石橋頂道御尊師を迎え、その後、平成8年に第二代岩切護道御尊師、平成20年に第三代小橋道芳御尊師を迎え、現在は第四代鈴木法徳御尊師(令和2年から)が住職を務めています。
(右は慈本寺南側庭園です。庭の奥には黒沢川が流れており、時期になると庭にまでホタルが飛んできます)
山門には第67世日顕上人御揮毫の山号額が掲げられています。「専光山」の「専光」は日純上人の院号に由来しています。
山門をくぐると銀杏の木があります。これは慈本寺落慶入仏法要の砌に第67世日顕上人が御手植え下さったものです。
慈本寺落慶の砌、日顕上人は法華経法師品に説かれる衣座室の三軌の経文を御染筆下さいました。上記はそのうちの一枚です。
自分がこの分野でのエキスパートになれたのは、皆の助けがあったからこそです。それが志を同じにする仲間たちと、情熱とスキルをもって新しいムーブメントを生み出す仕事に携わる理由です。